第1話 魔の手はすでに幼少期から

こんにちは、柴崎です。今日もブログを更新していこうと思います。今日は小さい頃の話をメインにしていこうと思います。

 

私が、小さいころ、それも幼稚園生ぐらいのころから私はよく泣かされていた。そして、それとは別に私は私の足に一つ、また一つと枷をもうけ重しをつけていった。身動きが取れなくなるように。

 

私の両親は表向きはエリートそのものですが、その内実はというと残忍なものでサイコパスであり暴力者であり半人殺しでした。(精神的にも、肉体的にも)

父親は私が生まれた当初から私のことを人間としてではなく駒として扱いました。人間として扱われた記憶はないので私はどこか物寂しい感じがしたのを今でも覚えています。このようにかくと、明らかな虐待やいじめを受けたかのように思われるかもしれませんが、そうではないのです。父親も母親も社会的にはまともな人間なのでそこらへんはしっかりと心得ていました。だから、明らかにつかまってしまうような暴力行為や虐待行為はなく、社会的に制裁を受けない程度にじわじわと私のことをさげすんではその精神を凌辱していったのです。

母親は父親や私たち子どもに比べて頭が悪かったようです。彼女の意見はいつも的からずれており、そのずれを父親や私たち子どもに指摘されていましたが、指摘されても自分の矛盾に気づかず、ひいては逆切れする始末でした。良く母親は母親の両親すなわち私から見た祖父母に自分は父親や子供たちにいじめられていると嘆き、相談していたようですが、私から見ればまともに話すらできないやつが言う事ではないと思いました。母親は決して何か障害のようなものを持っていたわけではありません。いたって普通の人間なのです。しかし、ただ少し、いやかなり頭が悪かったのです。正常な思考を得意とせず、いつも空回りしているそんな人間でした。このようにかくと、それは矛盾しているのではないか、何せ前話にて母親は関西の有名私立大卒で教員免許を持つにんげんではないか、そんな人間が頭が悪いというのは矛盾するのではないかと思われるかもしれませんが、私が言いたいのはそこなのです。母親はすなわち「無能な努力家」なのです。母親は無能で地頭が悪い故ただ、時間を費やして努力するしか能がなかったのです。だから、大学入試も高校からの推薦で入学していますし、教員免許試験なんて無能でも合格できます。